この記事を読むとあなたは「唐人墓」へ行きたくなります

✔︎唐人墓は美しい装飾のちょっぴり不思議な観光スポット

✔︎知る人ぞ知る「開運パワースポット」だった!?

✔︎サンセットついでの「ついで観光」でも楽しめる

ToMoToMo

人気の観光地!!

とは言えませんが唐人墓の装飾はかなり美しくオススメですよ♬

隣には「サンセット」ポイントでもある観音崎もあるので

ついで観光で運気をあげるのも悪くないはず♬

 

石垣島の【唐人墓】の全てをお伝えします!

 

石垣島の西海岸にひっそりとたたずむ唐人墓。

 

一見するとカラフルな風貌からは明るい雰囲気すら感じる場所です。

しかし、この唐人墓に秘められた過去の出来事までしっかり学習して、そこにたどり着く人は少ないのでは無いでしょうか?今日は唐人墓の歴史を踏まえて記事にしてみました。

 

唐人墓の建造は「ロバート・バウン事件」をきっかけに石垣島にたどり着いた中国人奴隷の歴史が背景にあります。

 

時をさかのぼること約150年前の1852年に中国からカルフィルニアへ向かう奴隷貿易船で、捕虜である中国人が船で繰り返される虐待に耐えかね暴動を起こしたことに端を発します!

 

奴隷貿易船って聞いただけでも十分に恐ろしい黒い歴史を感じます。

 

下の動画では唐人墓の全容を収めました!

この動画を見て頂けると「唐人墓の美しさ」が伝わると思います!

 

唐人墓の建設に秘められた歴史的背景「ロバートバウン事件」とは!?

 

中国から出発した船はその道中で奴隷達にひどい虐待を繰り返していたと伝えられています。

 

その虐待の内容は酷いもので、商品価値を表すであろう焼印を胸に押し当て!

そして売り物にならない弱った奴隷や病人は生きたまま海へと叩き落として、付近を徘徊するサバ(沖縄方言でサメ全般)に食わせていたそうです。(石垣島の沖合には肉食で獰猛な「イタチザメ」の生息域になっている)

 

この様な暴挙を知り耐えかねた中国人奴隷により暴動が勃発!

 

その暴動により米国人船長と船員を殺して奴隷達が船をハイジャックした!

その後船は風波や石垣島の張り出したリーフ(珊瑚礁)にぶつかり座礁することなった・・・当時「崎枝村」と呼ばれる集落の沖合に座礁したことから船から逃げ出した中国人たちは命からがら約380名ほどで石垣島に上陸を果たすこととなる。

 

石垣島の奴隷事情を知らない役人達は彼らを崎枝村の「赤崎」に収容所を設けて彼らの監視と保護をしたとされています。

 

イギリス船の砲撃とアメリカ船の来航!100名の米兵上陸

 

座礁したバウン号の悲報を知り最初にイギリス船が2隻が石垣島に来航!

 

そしてなんと3月16日にイギリス船から収容所への砲撃が行われる。

その後完全武装した200人の兵士が上陸を果たし・・・逃走する中国人を射殺・・・または捕縛していった。兵士に抵抗したものはその場で見せしめを兼ねて100名近くを「吊るし上げた」そうです。

 

その後イギリス船は3月23日に島を出航。

 

しかしまだこの話は終わらない。

翌月の4月4日に今度はアメリカ船一隻が来航し!100名の米兵が石垣島に上陸し探索を行うこととなる!捕縛を逃れるために中国人は当時の「琉球王朝」に助けを求めそれにより捕縛を逃れた。

 

4月12日にはアメリカ船も引き上げることとなる。

 

翌年1853年9月29日に琉球王朝の保護船により本国へ送還される。

この期間琉球王朝や島民も密かに食料や水などを収容所へ運び入れていたのですが、この期間で収容所の衛生状態が悪いことで疫病・自殺・行方不明で亡くなる中国人も多く帰国の途につけたのは172名とされている。

 

その間で亡くなった中国の方々は128名に上り、それを弔ったのが「三百唐人墓」です。

(今でも当時の陶器製の墓標が「八重山博物館」に収納されています)

 

石垣島の唐人墓へのアクセス

 

唐人墓のすぐ近くには市内から一番お気軽に行ける「夕焼けスポット」の観音堂もあり、お墓だけを見るのは・・・ちょっと魅力を感じないなっと言う方は夕焼けビフォアーに立ち寄ってみては如何でしょうか?

 

住所:沖縄県石垣市字新川

駐車:10台以上

営業:自由入場